essay

「いくつになってもチャレンジすること」

 昨年は、一度もエッセイを書かなかった。走りぬけるように2009年は過ぎていき、日々流されっぱなしの毎日を送ってしまっていたから……。ブログがあるにもかかわらず、あえてここにエッセイのコーナーを設置したこと自体、悔んだ日もあったっけ。ダメだね、私。だけど、「今年はもう少し文字を綴ってみようかな」と思い立ち、今ペンをとっている。(実際はキーボード叩いてるわけだけど。) 

 ところで、先日約一年ぶりに会う男友達と、一か月に一度は会っている女友達と、3人で食事をした。「この一年どうだった?」などという会話になり、彼は「毎日忙しくて、充実していた」と満足げ。我々女性2名は、「いや~何にも変わらないな~」と答えると、彼は「え!?一年全然変わらないの?」と驚いた様子。彼にとっては、今も一年前も、ほとんど同じタンスで生きる私たちが信じられなかったみたい。そりゃあ、公私ともにちょっとずつは変化もあったけど、基本的には去年の今頃も今年の今も、ほとんど変わらない。人間、年齢を重ねれば、変わらないことこそ、安定と呼べるのではないだろうか?もしも子供がいれば、子供の成長を自分の変化と錯覚することはできるけど、そうでなければ去年と今年が同じでも不思議ではないはず。だから、さして変化のない一年を送っていたことを驚かれ、逆に私たちは驚いた。

 ただ実を言えば、私自身そんな変化のない生活に辟易していたというのも本当のところ。とりたてて悩みも不満もない穏やかな毎日。老後の生活に不安はあるけれど、当面の暮らしには困らない。仕事をして趣味を楽しみ、好きなように一年を過ごしていたら、月日が過ぎただけのこと。ある出来事が去年のことだか、二年前だか、三年前だったか、わからなくなることもなくはない。でも、そんな日々が一年、また一年と押し寄せてくるとしたらもううんざり。穏やかな暮らしを逆にかきまわしたくなったり、不安の種を自らばらまきたくなることだってあるだろう。穏やかな毎日がうんざりするなんて、バチが当たりそうだけど。

 さて、私はそろそろ自爆スイッチに手がかかろうとしているところ。何もしなければ、来年の今頃もきっと同じような毎日を送っているのかと思うと、このスイッチを押さずにはいられない。

 そういえば今日、スキー板とキャリーを転がしながら歩く、60代~70代の女性を街でみかけた。昔懐かしいサロモンのスキーケース。きっとこれから、雪山へ向かうのだろう。「いくつになっても好きなことをやり続ける」その女性に、私は勝手に勇気づけられた。「もう遅いなんてことはない。いくつになっても挑戦すること」を、改めて考えた2010年最初の新月。今年もがんばろう。