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恋運暦アラフォー留学記最終回2012年4月号

小さな島国ニッポンを飛び出すと、世界の広さに驚かされることがあります。かつてバブルの甘い蜜を吸ったアラフォー世代としては、今日本がとてもちっぽけな存在に思えてなりません。あの頃、海外で高級ブランドを買いあさっていた日本人の姿はもはやまぼろし。世界の誰に何を思われようと、集団で風を切って歩いていたあの頃が懐かしい…。

一方、かつての日本のようにバブルを迎えている中国の勢いはとどまるところを知りません。日系美容室に行っても、その客のほとんどは中国人。若い学生がブランド品に身を包み、おしゃれやメイクにも手を抜かず…。家からタクシーで美容室に乗りつけ、友達の分まで支払う姿も珍しくありません。

また、好景気に沸き海外に大量流出しているのは、中国人だけではありません。ブラジル人の勢いも劣らず、夏休み(ブラジルは南半球)を利用してたくさんの若い学生が英語を学びにやってきます。彼らは貧富の差が激しいブラジルの、一握りの富裕層の子どもたち。高級ブランドが立ち並ぶハイストリートでショッピングを楽しみ、アップルストアで大量に商品を買いこむなんていうのもざら。「家にはメイドが何人もいて母親は料理をしない」なんて話がごく自然に飛び出します。ブラジルは、教育を受ける機会もままならないほど貧しい人も多い国。メイドの中には10歳までしか学校に行けず、まともに字も書けない人もいるのだそう…。そんな貧富の差や階級の違いなどを、上から目線で語る10代の学生の姿にある種の嫌悪感を覚える私です。

また、石油産出国サウジアラビアの太っ腹加減も驚き!一定の学力さえあれば、留学費用は国持ち。大学はもとより、語学学校の学費も住居費も国が負担してくれるそう。その理由は、教育レベルを底上げするため。学費が高くてデモを続けるイギリスいる大学生からすれば、のどから手が出るほど羨ましい話です。ただし、貧富の差が激しいサウジも、ロンドンに留学しているのはごく一部の富裕層。スーパーで大量に食材を買いみタクシーで帰宅したり、隣国ドバイへの旅行は箱根にでも行くような感覚。かつての華やかな日本を知る私としては、尻すぼみになっている日本の姿と照らし合わせただただため息をつくばかり…。日本の存在の小ささをロンドンで感じているところです。

さて、アラフォー留学記も最終回。世界の片隅でひっそり生きる姿をお伝えできていたら嬉しいです。これまでありがとうございました!


恋運暦アラフォー留学記第18回2012年3月号

2カ月間限定で同居した大家さん、ハンガリー人老女(以後「ばあちゃん」)は、とにかく物を捨てない。80歳を過ぎたお年寄りの、物を大切にする気持ちはよくわかる。だけど、市販のゼリーを容器から皿に移しラップもかけず何週間もテーブルの上に放置したり、とっくの昔に賞味期限の切れた食材が冷蔵庫内で化石化していたり、食べかけのパンや飲み物がテーブルの上で次の日まで持ちこされたり…などなど。そんなばあちゃんに時折訪れる息子夫婦は手を焼き、何十年も使わずほこりだらけになっている瓶を嫁が捨てようとした時…。「リーーーーブ、イーーーーット!(触るな~!)」と、激しく抵抗していたばあちゃんの叫びは今でも忘れられない。

そんなばあちゃんは、今でこそ腰も曲がり、一日中テーブルの上に置かれた小さなブラウン管テレビとお見合いしてるような毎日だけど、彼女の過去は壮絶。ばあちゃんは、1956年に起きたハンガリー革命の際、国外逃亡に成功した25万人の中のひとりなのだ。彼女の話によれば、12月の寒空の中、ご主人とまだ小さかった息子さんと3人で、日が暮れるのを待って隣国のオーストリアまで歩いて山を越えたそう。お金を払って雇った案内人に連れられ、月の灯りだけを頼りにひたすら歩いたんだとか。そして、ようやくたどり着いたオーストリア側の壁に書かれた文字をハンガリー語と見間違え、「ふたたびハンガリーに戻ってしまったのか!」と絶望感を抱いた話などを、まるで昨日のことのように語る。イギリスに移った後は、夫婦で一生懸命働き、現在の閑静な住宅街のマンションの一室で今は穏やかに暮らしている。その後、ばあちゃんは何度かハンガリーに戻り家族や友人と再会を果たしたけれど、1970年代に亡くなったご主人は、過去の苦い体験から祖国に戻ることを拒み、二度とその地を踏むことはなかったさそうだ。

ロンドンには、いろんな国からいろんな理由で人がやってくる。ばあちゃんの世代は祖国を逃れ生きるために…。そして今は、仕事を求め、イタリアやスペインはもとより、ビザを必要としない東西ヨーロッパ各国から訪れる若者が後を絶たない。貧しい国からの不法滞在者もたくさんいるようだ。ここロンドンでは、いろんな人がいろんな思いを抱えて生きている。

生きるためでも仕事を見つけるためでもない私は、豊かな国に生まれたことをかみしめる反面、自分の人生がものすごく平凡に思えてならない時があるのだ。


恋運暦アラフォー留学記第17回2012年2月号

あけましておめでとうございます!きっと読者の皆さんは、いつもの穏やかな新春を迎えている頃だと思いますが、今、この原稿を書いている私は、まさに年末!せわしなさを感じている真っ只中。街はクリスマスを控え浮足立つ反面、スリや路上強盗も増え物騒さ加減も増してくる時期。うかうかしていると、あっという間に物が失くなります。

知り合いは、人通りの多い街中のキャッシュディスペンサーで、数名の男に取り囲まれ瞬く間にキャッシュカードを抜き取られ、直後にお金を引き出されたり、夜道で電話しながら歩いていたら、相手とつながったままのiphoneを持って行かれたり(iphoneはこちらでも人気があり、高く売れるのでしょう)と、身近なところに犯罪があり、この街の嫌な面を見せつけられています。また、嫌なところと言えば、バスの中が食べ散らかしたごみくずで汚れていたり、トイレの使い方が驚くほど悪かったり、スーパーに並んでいる食べ物の箱がボロボロだったりなど、数えだしたらきりがありません。

だけど、逆にロンドンの良い所も、毎日たくさん発見してます。たとえば、この街にはちょっとした優しさがあふれています。電車でお年寄りに席をゆずるのは当たり前で、お年寄りもそれを当然の権利のように受け止めます。また、重い荷物を持っていれば、必ずと言っていいほど救いの手が差し伸べられ、女性には有難い!また、駅の階段でベビーカーを見かければ、男女の区別なく誰もが率先して手伝ってあげるのも日常茶飯事。「日本よりもはるかに子どもと一緒に移動しやすい」と、子育て中のお母さんは口を揃えて言います。

また、先日、ロンドン一番の繁華街にあるオックスフォードサーカス駅で、乗り換え電車を待っていたら、黒人の駅員さんに「クリスマスツリーはもう飾った?」と声をかけられました。毎日たくさんの人が乗り降りする駅のホームで、次の電車を待っているわずかな時間のたわいもないおしゃべりだったけど、なんだか暖かい気持ちになりました。そして、別れ際に「また次に会ったら、ツリーを飾ったか聞くからね!」とも…。まるで映画のワンシーンのような出来事に、「異国の地に住む孤独なアラフォーの心を癒す、サンタさんからのクリスマスプレゼントだったのでは???」などと、勝手に想像を膨らませたりして。

そんなわけで、2012年。今年は今年の風が吹く?今年もどうぞよろしく!

 


恋運暦アラフォー留学記第16回2012年1月号

この秋、新しいフラットに移りました。それは「フラットシェア」というかたちで。フラットシェアとはその名の通り、誰かと住まいを共有すること。物価の高いロンドンは当然家賃も高額!そのため、ひとり暮らしではなく、誰かと住まいを共有し家賃を浮かせるという考えが主流です。もちろん日本で言う「ワンルームマンション」もありますが、驚くほど小さな部屋にキッチンやシャワールームなどすべてが組み込まれ、しかも高家賃。家賃を抑えつつスペースも欲しいなら、シェアを選ばざるを得ないというのも現実です。

そんなシェアのスタイルは多種多様。借りたい者同士のシェアばかりではなく、大家が使わなくなった部屋を他人に貸し同居したり、新しいマンションの1室を、ローンの負担を軽くするため誰かに貸すパターンも多く、まったくのあかの他人が同居することにさほど抵抗はないよう…。たいていの物件には家具もついていて、礼金はナシ!外国人には有難い限りです。

私のロンドンでの新生活は、ハンガリー人老女の大家と、中国人の美大生との同居。場所は都心にほど近い閑静な住宅街で、何百メートルもかえで並木の続く美しい街です。80過ぎの大家さんは四六時中家にいて、会えばおしゃべりが止まらなくなることもあるけれど、英語の勉強には最適。あまりに話が長くて気絶しそうになることや、年寄り特有の小言を聞かされることもあるけれど、優しくてかわいいおばあちゃん。中国人美大生も、愛きょうのあるかわいい子で、私は人に恵まれたと思います。

しかし、この物件にたどり着くまでの道のりは長く、軽く200年近く建っている石造りの建物に、50年近くリフォームもせず当時のままの家具が置かれているフラットや、まるでホテルのような内装でありながら場所が不便で物騒なフラット、あまり清潔ではなく大家と掃除を分担しながら同居する物件や、豪快なイタリア人の大家が電気代を節約するためインターネットはYoutubeもダウンロードも許されず、風呂を入る時間まで決められている物件など、本当にいろいろありました。都心の一等地の素敵なマンションで、ロシア人の男女がシェアメイトを探していたり、日本語ペラペラの中国人夫婦がテムズ川沿いのきれいなマンションを、日本人にのみ数部屋貸そうとしていたり、日本人妻が広告を出すも、英語しかしゃべれない夫が出てきて、自分の家のリビングを貸そうという少々むちゃくちゃな物件などいろいろ。

そんな訳で、私のフラットシェアは始まったばかり。この先どんなハプニングが起こることやら!?


恋運暦アラフォー留学記第15回2011年12月号

この一年の語学留学を振り返り、まず頭に浮かぶのは、たった一年では足りないということ。一年間英語圏で暮らしたものの、当初思い描いていたほどの会話力を身につけることはできず、あっという間に月日が過ぎました。私にとっての一年は、「英語をしゃべろうとする度胸がついた」くらいでしょうか…。ロンドンには日本人が山ほどいて日本語をしゃべる機会のほうが多かったし、さほどフレンドリーな国民性でもないイギリスで、道行く人と冗談を交わし合って笑ったという経験は皆無。毎日通い詰めた図書館で会う顔見知りとすら、お互いをよく知るほどには至らず。失敗を恐れ消極的になるという、典型的な日本人のダメパターンに陥った私。後悔することばかりです。

だけど、そんな中にも一年の成果はあるものです。たとえば、ペーパーバック(英語の文庫本のようなもの)を読めるようになったこと。もちろん、わからない単語は今でも辞書を引くし、興味ある内容でないと読破はできません。ただ、単語力は何倍にも増えたし、英文を読む速度もかなり上がったのではないでしょうか。

そしてもうひとつの大きな成果は、ケンブリッジ英検に合格したこと。この試験は、英検準1級相当とされる、ヨーロッパではメジャーな試験です。学生時代、英語が得意だったわけでもなく、むしろ苦手だった私が見事合格したのです。実を言うと、対策クラス在籍時に一度受験に失敗…。6人のクラスメート中、私ひとりが不合格といういたたまれない状況の中、2度目の受験でギリギリ合格。「英語がしゃべれるようになればいいな」くらいで始めた留学で、このような証を手にできたことはアラフォー留学の最大の成果です。仕事と勉強の両立に毎日ボロ雑巾のようにへとへとで、新しい単語はなかなか覚えられないし、覚えたそばから忘れることだらけの中、我ながらよく頑張りました(笑)。

私が思うに、人は年齢とともに闘争心が失われていくもの。リスクを避ける意味では、それは賢い生き方で、無理して危険なスポーツを昔のようにしようとはもはや思いません。だけど、自分のペースでからだを慣らしながらなら、まだまだ挑戦できるのが40代。1度目の試験勉強の最中、「私は2度目で合格する」と宣言した私に、親子ほど年の離れたクラスメートは「やる前からあきらめるな」と責めたけど、自分のことをいちばんよくわかっているのも自分。1度目はリハーサル、そして2度目に照準を合わせた私の粘り勝ちです。

さて、この秋から2年目の留学が始まります。無理せずに、自分のペースでできたらいいですね。


恋運暦アラフォー留学記第14回2011年11月号

ロンドンでは多くの日本女性との出会いもありました。英語習得のために日本人をシャットアウトする!というのもありでしょうが、せっかく異国の地で出会った同朋です。私は、彼女たちからもいろいろな刺激を受けました。

 留学当初お世話になったカトリック教会の営む女子寮では、おもにプロフェッショナルな道を追求する女性に会いました。イギリスの大学院に通ったり、大学院を卒業後イギリスでの就職を希望する女性など、その能力の高さに驚かされることもしばしば。日本一の大学を卒業後、専門分野を研究するために渡英したり、国費で留学する官僚もいました。ピアノ留学や、ヨーロッパの様々な国のオーディションに挑戦し、東欧の国でバレリーナとして就職していった女性なども…。また、日本の大学院を卒業し就職先が決まった後、働き始めるまでの数か月間をワーキングホリデーとして滞在し、渡英後すぐにアルバイト先を見つけた人など、その行動力には頭が下がります。私が出会ったワーキングホリデー組はバイタリティあふれる女性ばかりで、しっかりと語学力をアップさせ帰国した女性や、ネイリストとしての道をロンドンで極めるなど、彼女たちから受けたエネルギーはそうとうなもの。

一方、語学学校への留学でやってくる日本人の多くは、数カ月の留学が多く、おもに30代前半のOLを辞め思い切って留学に踏み切った人たち。日本で一般的に言われるのは、「30にもなって会社を辞めてまで留学する」とか「たかだか数か月の留学では何も変わらない」という非難めいた言葉かもしれません。たしかに「毎日学校に通って余暇は観光」で終わるケースがほとんどですが、それでも、日本では得られなかった何かをつかみ取って帰国したに違いありません。現に、帰国後、思考錯誤した後、ロンドンでの生活からヒントを得て新たな目標を見つけ、頑張っている女性もいます。また一年のアロマ学校への留学後、帰国していく友人の今後には大いに期待したいところです。

ただし、もともと語学力に長け、イギリスでの専門職を目指し2年間学びつつも、夢を叶えることができず帰国の途につく人もいます。彼女にとっての2年間が、決して無駄にならないことを願います。

この1年、いろんな日本女性と出会い思うことは、自分の道を確立するか否かに、語学力はさほど関係がないということ。もちろん、できたに越したことはないけれど、どれだけ強い意志を持って頑張れるかが、大切なのではないでしょうか?

私、アラフォー女子ですが、まだまだ頑張りますよ!


恋運暦アラフォー留学記第13回2011年10月号

ロンドンで出会った友人を訪ね、トルコに行ってきました。ロンドンに住んでいて良かったと思うのは、世界中のいろんな人や様々な文化に触れられること。、土地との縁や人との縁とは本当に不思議なものです。

 今回は、友人の住むコンヤという古い伝統やしきたりが色濃く残る街と、火山からできた変わったかたちをした岩がどこまでも連なる世界遺産のカッパドキア、そして首都イスタンブールを旅してきました。

トルコでは、ゲストは幸せを運んでくる神様みたいに考えられ、ゲストが満足するよう何でも好きなことをやらせてあげるのが習わし。私も友人の家や彼女の姉妹の家、親戚の家などを回り大歓迎を受けました。トルコ料理は、フランス料理、中華料理に並ぶ世界三大料理のひとつで、トルコを代表するケバブ料理はもちろん、家庭料理のピーマンの肉詰めやレンズ豆のスープ、トマトやキュウリのサラダなど、どれも本当においしくて日本人の口に会うと改めて感動!お米はバターでいためてピラフとして食べるものの、主食であることは日本と同じ。また、玄関で靴を脱ぐ習慣も同じですから、親近感がわく国だし、親日家も多いそう。行く先々で、まるで芸能人がきたかのように珍しがられたり、写真をとられたりしたものでした。

トルコは人口の90%以上がイスラム教徒いう国で、田舎町のコンヤでは女性の多くはスカーフで髪を隠し宗教に則った生活をしているものの、イスタンブールの女性はロンドンや東京と変わらないファッションで、若い女性の肌の露出は東京以上。同じ国の中でも考え方に大きな差があるようです。また、他のイスラム教の国と比べるとさほど規律は厳しくなく、一日5回のお祈りはできるときにやるとか、まとめてやればいいなどあんがいフレキシブル。お祈りとは、日本人がご飯の時に「いただきます」と「ごちそうさま」を言うのと同じような感じなのでしょうか。それでも宗教の話になると誰もが熱くなり、他の宗教へも興味津々。日本人の宗教観について訊ねられるも、きちんと説明するだけの知識の足りない私はしどろもどろ。それでも「日本には仏壇がある家が多く、朝晩お水やご飯を供えたりする…」というのを思い出し、わずかながら自分の中に根付いている宗教観に気づかされたりすることも。

そんな中印象的だったのは、日本で災害が起きた時、トルコの人々は皆、毎日のお祈りの中で日本の復興を祈っていたという話。遥か遠い国の人々が日本のために祈ってくれていたとは…、思わず胸が熱くなりました。私にとって、いろんなことを考えさせられる素晴らしい旅となりました。


恋運暦アラフォー留学記第11回2011年8月号

実を言うと、この3カ月勉強に明け暮れ死にそうな毎日を送っておりました。というのも、英語能力テストの最高峰とされる「ケンブリッジ英語力検定試験」に挑戦し、こてんぱんに打ちのめされておりました…。この試験は130カ国以上で実施され、年間300万人以上が受験している権威ある試験です。日本ではあまり知られていないのですが、イギリスではTOEICとは比べ物にならないくらい広く知られています。レベルもいくつかあって、私が受けたのは中級レベルの英語力を証明するFCE。中級と言っても、これにパスすると外資系企業への就職や進学時などに有利とされているので、実はかなりのハイレベル。ヨーロッパ圏の学生たちははこれにパスするのに必死です。試験の内容は、スピーキング、リーディング、ライティング、グラマー、リスニングの5つ。スピーキングは約15分間のインタビュー他で、残りの4つは1日にいっきにまとめて受験します。

そんな試験を受けるために、私は3月からの3カ月間受験対策クラスに籍を置き、親が私と同い年、という高校卒業ほやほやの女子学生を含むクラスメートたちと日々頑張ってきたわけです。学校では毎日5時間英語漬け、放課後も4時間図書館にかんづめ。それでも学校での5時間分の復習をする時間が足りなくて、やりたいと思っていたことの半分も消化しきれず。

体力的なつらさはもちろんだけど、「できない自分」に対しての劣等感がいちばんつらかった…。中級レベルのグラマーというのは、日本人はおおまかな部分は中学高校でやっているけれど、それを応用し読み書きすることを求められるのがこのテストのレベル。あふれるほどのアルファベットを目にし、アレルギー反応すら起こしそうな日々。リスニングも知らない単語はぜったいに聞き取れないし、ホント死にそうでした。ただ、この3カ月にやったことは、今までの総ざらい的な内容なので、英語を学ぶ上では本当に有意義な時間を過ごせたと思います。試験を受けること自体は、私にはまだちょっとハードルが高かったかもしれないけれど…。

とまぁ、毎日泣きの入る生活も昨日で終わり、今こうして締め切りを待ってもらっていた原稿に、過ぎ去った日々の泣きごとを書かせていただいてます。今回は、間違いなく落ちるでしょう。だけど、このままやめるわけにはいきませんね。乗りかかった船だから、最後までやりとおすのがアラフォーの心意気。新たな目標を胸に、今希望に満ち溢れているところです。


恋運暦アラフォー留学記第10回2011年7月号

日本でも「世紀の結婚式」と話題になったウィリアム王子とキャサリン妃のロイヤルウェディング。ご当地ロンドンでも国民は大はしゃぎ。この日は国民の祝日となり、ふたりの姿をひと目見ようと沿道には大勢の人が詰めかけ、国中あげてのお祭りムードとなりました。ケイト妃の堂々たるいでたちや美しいドレス姿から、キュートなハリー王子、趣味の悪いゲストのファッションの話題などでもちきりに。しかしウィリアム王子はやや影が薄かったような。ま、ウェディングは花嫁が主役ですからね。

ところで、この日は国内各地で、国民が思い思いにパーティを楽しんでも良い日。イギリスでは、あらかじめ道路申請許可を出していれば、公道を閉鎖しパーティを行うことができるそう。大画面スクリーンを道端に配置し、近隣の住民同士がまるで町内会の夏祭りのように、世紀の結婚式を楽しんでいたのも印象的。中継終了後は、日没近くまで好き勝手にケーキなどの食べ物を持ち寄って賑やかに過ごしていました。

それにしても、一時話題をさらったカミラ妃とチャールズ皇太子が、エリザベス女王やダイアナ日の忘れがたみであるウィリアム王子、ハリー王子とともに同じ画面に収まるのも不思議なもの。複雑に絡み合い、いまだパパラッチの心を魅了して止まないイギリス王室の存在を目の当たりにしました。勝手にイマジネーションを働かせるなら、当時のダイアナ妃とチャールズ皇太子の結婚式に、密かに新郎に思いを寄せる愛人が出席していたかと思うと、昼メロでも観ているかのよう。カミラ妃側から物語を作るとすれば、愛する人が別の女性と結婚し、それを全国民とともに祝福しなければならない彼女はどれだけ辛かっただろうに。それを考えれば、今こうして公な場に堂々と愛する人と肩を並べていられる彼女を、決して攻めることはできないかもしれません。

ところで、そんなロイヤルウェディングの日、ホストマザーが20年前に亡くなったご主人の話をしてくれました。いまだににひんぱんに話題にのぼるご主人の名前はデビッド。意味は「BE LOVED」。お互いがお互いにとって、どんな役割を果たしていたのかを語ってくれました。「ソウルメイトだったと思いますか?」との私の問いに、「もちろん、だからその後、別の男性からデートに誘われても応じないし、再婚もしなかったのよ」と、まもなく80歳になるマザー。今でも心の中にご主人は生きているみたい。ロイヤルウェディングの映像に、自分とご主人の姿を重ね合わせていたのかもしれません。


恋運暦アラフォー留学記第9回2011年6月号

日本で起きた震災を知ったのは、発生から数時間後のこと。それから数週間、日本のことが気になり何も手に着かない日々が続きました。遠く離れた故郷の変わり果てた姿はイギリスのメディアでも毎日トップニュースで伝えられ、時には日本で自粛しているような原発の映像も容赦なく流れてくるありさまで……。

ロンドンで知り合い自国に戻った友人からは安否を気遣うメールが届き、中には「大きな自宅を被災した人たちに提供してもいい」と言うドイツ人もいたほど。それだけ世界的にも影響を及ぼす惨事であったことを考えると、ここで平和に暮らしていることが後ろめたく感じることもありました。

そんな中、ロンドンでは多くのチャリティイベントが行われ、バイオリニストの葉加瀬太郎さんも、震災からわずか数日後に日系デパートでコンサートを開きました。突然の告知にもかかわらず予想をはるかに上回る多くの日本人がかけつけ、中にはベビーカーに乗った子ともを連れてくる人の姿も…。ラッシュアワーの人ごみをかきわけ会場に辿り着くのは大変なこと。だけど皆思いは同じ。今、自分にできる精いっぱいのことをしたくて集まったのでしょう。ぞれぞれが遠く離れた故郷への思いを胸に、情熱的なバイオリンの音色にしばし耳を傾けました。また、私がいちばん嬉しかったのは、ホームステイ先のマザーと同居中の韓国人学生が、チャリティコンサートに出向く私に義援金を託してくれたこと。思いもよらぬ激励に涙があふれました。

ところで、ロンドンでは様々なかたちでチャリティ活動が行われています。観光客でにぎわう名所で日の丸を掲げ喉をからし募金を呼び掛ける日本人や、応援メッセージをインターネットで配信するためにカメラを回す学生、芸術家やその卵たちの展覧会やコンサートなどさまざま。イギリスに住む私の日本人の友人も、教会でケーキを販売するチャリティイベントを開き、地元紙から取材を受けました。またイギリスには個人的に募金を集めるインターネットのサイトがあります。サイトを通して自分のページを立ち上げ、友人知人に募金を呼びかけるというもの。収益の5%を手数料として支払う仕組みですが、イギリスではわりとよく知られたサイトのようです。

この原稿を書いている今、日本からは桜の便りが届けられています。震災から1か月。桜の便りをこれほどまでに待ちわびていたことは、今までなかったかもしれません。被災地の方々をはじめ、日本中がこの美しい季節を心から楽しめる日が訪れることを願ってやみません。


恋運暦アラフォー留学記第8回2011年5月号

先月に続き、ホームステイネタをいくつか。結論から言うと、私が度肝を抜かれっぱなしだったフランス小娘は我が家を去り、別のステイ先へと移って行きました。彼女は恐ろしく無知で非常識、部屋はぐちゃぐちゃだし、去った後のテーブルは食べかすが散乱し、ナイフは刃先を人に向けたまま渡す始末。その上横柄で自分勝手なキャラクターだから、心から親の顔を見てみたくなったのも事実。きっと、これまで誰からも日常生活で必要な常識を教えられなかったのでしょう。

彼女が去った原因のひとつは、ステイ先のマザーが古い食材を冷凍庫にしまっていたから。賞味期限の切れ具合も「昔の人だから…」と、笑って許せる限度をはるかに超え、問いただすも「良い冷蔵庫を買ったから大丈夫!」と悪びれた様子はなし。さすがに、マザーも気をつけるようになったけど、大量に安い食材を買い込み、一円でも節約したいロンドンのホームステイ先事情が垣間見えた感じです。

そんな事件が引き金となり、神経質で、マザーとも折り合いの悪かったフランス小娘は我が家を去り、やってきたのは韓国人男子学生。もうすぐ80歳のマザーも男子は大歓迎で、なんだか我が家が一気に明るくなりました❤。

ところで、一般的にホームステイには問題がつきもので、別のステイ先では、学生がマザーにこき使われ子どもの面倒まで見させられたり、ステイ先の年とった息子にセクハラされたり、寒い部屋の暖房を切られたりと、トラブルは後を絶ちません。

我マザーは、食材事件を除けばとてもいい人で、時折お酒のサービスもあり私は満足しています。


恋運暦アラフォー留学記第7回2011年4月号

日本人も多く住む女子寮を離れ、今年から完全英語漬けのホームステイ生活を始めました。ホストマザーは、生粋のロンドナー(生れも育ちもロンドン)。英語も、学校で習ったばかりの表現が毎日バンバン飛び出し、とても勉強になります。

「広い庭があって可愛い子どもたちがいて……」などというホームステイの幻想とは裏腹に、一般的に、ロンドンのホームステイは仕事の一部のようなもの。収入をあてにして学生を受け入れています。うちのホストマザーも同様。年金暮らしの未亡人79歳!がひとりで住む公営フラットで、食事の支度から部屋の掃除、洗濯、アイロンがけまですべてお願いしている私アラフォー。手伝いを願い出るも何度も拒否され、心苦しく感じたのは最初のうちだけで、今ではまるで子どものように上げ膳据え膳生活に甘んじております。ちょっとした民宿状態とも言えるかも……。

一方、ここには私の他にもう一人、フランス人21歳女子学生がステイしています。人にもよるけれどフランス女子はとにかく自己主張が強く、自分の言いたいことはどんなにへたくそな英語でもも必死に伝えようとするから、私は日々辟易。最終的に、言いたいことはそれで通じるので、彼女の英語の上達は寡黙な日本人より早いでしょう(マズイ……)。このフランス小娘は何かにつけ私の度肝を抜くあんぽんたんですが、その話はまた次回!

ということで、我が家はアラトゥエンティ、アラフォー、アラエイトの完璧な3世代家族です。


恋運暦アラフォー留学記第6回2011年3月号

先日、ロンドンに来てからずっとお世話になっていた寮を出ました。最後に玄関まで見送ってくれた寮長に心から感謝の気持ちを伝えたくて、思わずお辞儀をしてしまった私。「サンキュー・ソー・マッチ」よりも何よりも、慣れ親しんだ挨拶が体に染み込んでいるようで、自分の中の日本を意識した瞬間です。日本人以外の人には滑稽に見えたかもしれませんが、これが私の敬意の払い方だったのかも。

ところで、ロンドンで暮らし始めた頃は、世界中からいろんな人が集まるこの街で、抱き合ったりほっぺをくっつけたりする挨拶に、しばしば面喰ったものでした。とくにブラジル人のスキンシップは強烈で、会えばいきなりほっぺたを片頬ずつくっつけ「チュ、チュ」。相手が日本人だろうが誰だろうがお構いなしで、時にはほっぺたに「ブチュ」っとキスしてくることもあり。初めは目が点になることもあったけど、今ではそれなりに心の準備は整い「どっからでもかかってこい!」という感じ。「右頬が先?それとも左から?」と戸惑うことはありますが。

一方、イギリス人の挨拶はあんがいドライ。思ったほどハグ&キスはなく、日本人にいきなりハグを求めてくる人も多くはありません。私自身はずいぶんハグにも慣れ、友人に思わず自分からハグするなど、ちょっぴり西洋かぶれしてきたことは否めませんが。

最後に、以前、空港でアフリカ人男性同士が、額のあたりを頭突きするようなカタチで挨拶をしているのを見たことがあります。どこの国の挨拶かは分かりませんが、その国ごとの挨拶って、なかなかいいものですね。


恋運暦アラフォー留学記第5回2011年2月号

週末を利用してパリに行ってきました。その目的のひとつに、「不思議のメダイ聖堂」に行ってメダイ(メダル)を手に入れることがありました。ここで売られている、ペンダントトップほどの大きさのメダイが、これを身につける人々を照らし、導き、奇跡を起こしてくれると言うのです。

このメダイは、1830年、パリの教会で修道女カタリーナの前に聖母が現れ、次のように語ったことから始まっています。「このモデルに従ってメダイを造らせなさい。信頼をもってそれを身につける人は大きな恵みを受けるでしょう」。その後、カタリーナがメダイを造り人々に配ると、様々な奇跡が起こったと言われています。ただし、これはお守りとは違い、自分で買うのではなく人のために買って送ることに意義があるんだとか。だから、私も同行した友人のためにメダイを購入し、その場でお互いの奇跡を祈りつつ交換しました。

「不思議のメダイ聖堂」はパリの中心地、「ボンマルシェ」というデパートの隣にあり、ヨーロッパの有名な教会には珍しく、白を基調としたとても美しいチャペルです。普通に観光していれば気づかないくらい小さな教会ですが、週末にはミサが行われ、たくさんの人々が祈りをささげていました。また、偶然、日本人のシスターと話をする機会にも恵まれ、「祈れば本当に奇跡が起こるのよ」と語ってくださいました。

異国の地に赴き、おごそかな中にも光輝くチャペルに足を踏み入れたこと自体が、すでに私にとっては奇跡。しばらくそこから離れられなくなったのも、不思議のメダイの力なのかもしれません。


恋運暦アラフォー留学記第4回 2011年1月号

この時期、日に日に空気が冷たくなっていくロンドンで、心を温めてくれるのはクリスマスのイルミネーションやグッズの数々。観光客でにぎわうオックスフォードストリートでは、数百メートルにわたって道を覆うように大きな電飾が灯され、クリスマス気分を盛り上げてくれています。その電飾の下を、真っ赤な2階建てバスがくぐっていく様はまさにロンドン!そのコントラストの美しさに、観光客ならずとも思わずカメラのシャッターを切らずにはいられません。

一方、各デパートにもクリスマスショップが特設されています。老舗デパートのリバティでは、1924年に建てられたという吹き抜けの木目調の店内のところどころにグッズがおかれ、落ち着いた雰囲気の中ゆっくりと買い物を楽しめます。生地や手芸用品も充実したデパートなので、手作りのクリスマスキットも充実しています。

また、ファッションからコスメ、日用品まで幅広くそろうセルフリッジでは、地下の広いスペースにクリスマスショップを設置。なんとすでに今年の8月から営業していて、そのグッズの数は1000種類以上!オーナメントやカード、ラッピング用品、パーティグッズなどが、まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのように所狭しと並んでいます。最後に、サウスバンクのクリスマスマーケットは、ロンドナーたちも心待ちにしているマーケット。本場ドイツのような伝統的なログハウスが60も軒を連ね、ユニークなハンドクラフトギフトなどが買えます。マーケットでは飲食の屋台も並び、ホットワインがオススメだそうです。1223日まで開催。


恋運暦アラフォー留学記第3回 2010年12月号

ロンドンは、その気になればいつでも誰かに出会える街。毎夕街かどで無料で配られる新聞には「出会い系」のコーナーがあり、出会いを求める男女のプロフィール広告が毎日100通以上載っています。「ゴージャスで長身のフェミニンなブロンド女性が、情熱的な年上男性を探しています!」とか「ラブリーな看護師36歳、休日にご一緒できる40代以上の男性希望」など、少ない文字数の中「自分でそこまで言うか?」というくらいのアピールコメントがぎっしり。その広告の3分の2は女性だから、ここロンドンでも肉食女子が増殖中?とくにアラフォー世代以上が悪戦苦闘している様が見てとれます。

一方、インターネットの出会い系サイトはもっとポピュラーで、10代から60代以上までの男女が幅広く利用。さらに「mysinglefriend.com」というサイトでは、友人がシングルの友達を紹介し、手前みそではない客観的なコメントから相手を選ぶことができます。

もちろん、「スピードデーティング」という日本で言うお見合いパーティもあって、長テーブルに向かい合う男女が数分ごとに場所をずらし、少ない持ち時間で全員と会話ができる形式のものもあり。ロンドンには様々な人種が集まっているため、イギリス人に限らず各国の異性と出会うのも珍しくはないでしょう。

ということで、イギリスは日本よりも「出会い系」に対する意識は寛容。これらの背景には、忙しくて出会う機会がないというのがあるようです。ただし、「いい出会いがないかな~」とつぶやく女子は万国共通。出会いを求めさまよう乙女の姿を探すのも決して難しくはありません。


恋運暦アラフォー留学記第2回 2010年11月号

ロンドンは、さまざまな国籍が雑多に行き交う人種のるつぼです。「金髪に青い目」というよりは、英語以外の言語があちらこちらで飛び交う各国ごちゃまぜの世界。ブロンド美人はもちろん、スタイル抜群で目鼻立ちがはっきりしたインド系美人など、各国美人にも出会えます。だから、日本人の私としては少々肩身が狭く、外見的なコンプレックスを抱かずにはいられません。なんせインド系美人は、顔が大人のげんこつくらいの大きさしかない人がゴロゴロいるんですよ!

それはさておき、逆に「日本人で良かった」と感じることもあります。たとえば、銀行口座を外国人が作るのが難しいと言われているイギリスでも、日本人ならあっという間に口座を開くことが可能。銀行や支店にもよりますが、私は「貯金したい」と窓口を訪ねたら、個室に通され即日発行! 一方、同じ寮に住むトルコ人女性は、私と同じ住所にもかかわらず「寮の住所では作れません」と断られてしまいました。日本人もトルコ人も、イギリスから見れば同じ外国人ですが、そこには国籍と言う見えない隔たりがあるのかもしれません。

また、日本人は100を超える多くの国にビザなしで観光で入国できますが、国によっては10数カ国しか認めてもらえない国もあるんです。そんな時、日本は豊かで平和な国であることを実感します。

海外では、日本人は自己主張をしないという、マイナスイメージでとらえられることも多いけれど、だからこそ穏やかな国民性が育まれ、世界でも信用される国になったのかもしれません。先人にも感謝です。


恋運暦アラフォー留学記第一回 2010年10月号

人生ワンツーパンチ!三歩進んで二歩下がる

 

「いつしか外国に住んでみたい」と思ったあの日から30年!?ずいぶん時間はかかってしまったけれど、ごり押しで夢を叶えてみました。この決断が遅いか否かを決めるのは他人ではなく自分自身だけど、周囲は意外にも好反応。「ロンドンに語学留学に行く!」と伝えると、多くの人が大胆不敵な私の決断を応援してくれました。唯一、「なにを今さら……」と軽く不満を漏らす実父を除いては。そんなわけで、拍子抜けするくらい温かい周囲の後押しもあって、今ロンドンで暮らしています。

語学学校の朝は早く、授業は9時から2時半までの約5時間。アラフォー留学は想像以上にハードで過酷。慣れない勉強に集中しすぎて目の焦点が合わなくなったり、貧血を起こしそうになった日もありました。気力はあっても体力が追いつかず、脳と体の衰えを一気に思い知らされることに。授業の多くは中高時代に習ったことだけど、それを言葉にできないもどかしさ、瞬時に変換できない瞬発力の衰えに落胆。「自分はバカなんじゃないか?」と真剣に考えたこともありました。

それでも「継続は力なり」。毎日英語に触れていると、ふだんの日より英語が聞き取れたり、すらすら出てくる日もまれにあるんです。「ある日突然神が舞い降りて、英語が面白いようにわかる」という通説には程遠くも、三歩進んでは二歩下がる程度でなんとか前進しています。20代の頃より覚えは悪いけど、心の太さははるかに図太く頑丈。まだまだ行けそうです。そんな、年齢を重ねた「今」だからこそ感じること、楽しめることをご紹介できればと思います。